0.7センチメンタル

有毒 無益なポエムと意味の無い作り話しか出てきません

ファッションメンヘラ日記(2017.11.25)

生きるのがつらい。 生きるのがつらいけど、私はつよいから涙は出そうで出たことはない。だから多分元気だ。

少し泣きそうなのは寒いからか、昨日から寝不足だからだろうか。

明日は日曜日だ。 いつだってそうだけど明日は誰も私を助けてくれない。元気なので多分死んじゃいたいで終わる1日じゃないと思う。テレビを見てゲラゲラ笑って、SNSをロードし続けて、実りのない1日だったと明日の夜にはまた後悔するのだろう。悲しくなると思うけど多分泣かない。

元気だから多分寝たらいまのつらいと思ってたことを忘れちゃうだろう。明日の朝(世間ではもう昼になっているかもしれない)なんだかわからないこのブログを見て首をかしげて消して何も無かったことにする予定だ。 だから、ファッションメンヘラの弱者の私を許して。殺して。

OL日記(2017.11.24)

つらい。 ばったり人に会って有難いお言葉をいただいた時、多分私はヘラヘラしていたけど、不思議な顔をされたのできっと泣きそうだったのかもしれない。

ある人は私に「60までかな」と言った。「私は40でいいや、だからもう余生みたいなものだよ」と返すとケラケラ笑いながら「日本の女性の平均寿命は84歳なのにね」と言われた。 余生だと思うとだいぶ気が楽だ。大体のことをまあもう死ぬからね、と笑って許せる。多分死ななないけど、死ねばいいなと思う。本当は30歳まででもいいんだけどある程度の妥協はしたし。

泣いちゃおうかな、と思った。やっぱり泣いちゃダメだと思い直してヘラヘラしたら、ニヤニヤしてるよと言われた。ああ、こうして生きるんだった、と思い出した気がする。1人で苦しんだって苦しんでることは実はたいしたことじゃなくてなんとかなるんだったって思い出した。もっと苦しければ、もっと弱ければって思うけど、多分そうなっても私を誰も助けないしそれだからこうなったんだったってことも思い出した。私にはスーパーフライデーは来ないけど、今日も1人で歩けるし新しい手袋を使ってチャリだって漕げる。

(すべてフィクション)

ギャル日記(2017/11/23)

2連休という言葉とは約3年間無縁な生活をしてきた。 ここ1年こそたまに2連休を取れることはあったが、世間が3連休だという時に私は1日しか休みがなかったり、あまりにそれが多いもので深く考えていなかったが大変だったとも思う。

今日は祝日で、一般の(今日の日本でこれがもはや一般かも分からないが)会社員はきっと木曜休日は1日ぽっかり空いた休みになるのだろうが、私は勝手に2連休を過ごしていた。私が休んでいたこと、気づいてないのか気づかないふりをしているのか分からないが、誰も私を叱らないし心配もしない。ああその程度の人間だもんな、と思った。その程度の感想しか持てない。

結局昨日私は図書館に行って勉強して本を読んでを繰り返していた。平日の午前中から図書館に制服を着た女がいるのは周りのおじいさんおばあさんには異様な光景だったかもしれないけど、何も言われなかった。

夕方から雨予報だった。 塾に傘を置き去りにしたままのことに気づいていた。遅くまでずっと雨の予報だったから、4時には塾に向かおうと図書館を出た。

あー、今日も1日頑張りました、みたいな顔をして行った。誰も私のことを見てなかったけど。 特に何も思わなかった。仕切られた空間の中で1人で音楽を聞きながら勉強。

9時には帰ろうと思って9時20分に帰った。 やっぱり雨は降っていて、あー、傘パクられてなくて良かった、と思って帰った。多分、私が今日ここにいたことも1人で図書館でサボっていたことも誰も気づいてない。

今日は何もしなかった。 こうして夜中に自己嫌悪に陥るならなにかすれば良かったのに、なにもしていない。 怒られたってなにも言い返せない。ただ、何も言われない。今日1日私が家でぼーっとしていたこと、多分誰も知らないし気づいていない。

誰か怒ってくれればいいのに。みんな呆れて何も言ってくれないのだろう。 怒ることは労力が必要だし疲れるし、本当に大切に思っているから、愛があるからだって、前に誰かが言っていた。つまりは、そういうことだ。

2連休、今の私には長かったと思う。夏休みみたいだった。多分、明日の朝起きたら寒くてしんどくなるけど、いつも通り元気にヘラヘラしていると思う。ヘラヘラしていれば多分誰かが笑って、それで私は嬉しくてニコニコしてそれで終わると思う。別にいいのだ。

疲れたら渋谷のスクランブル交差点で寝てもいいし、訳のわからない無人駅まで行ってもいいなと思う。多分誰も怒らないし。

私は明日もギャルでいなくてはならない。

(すべてフィクション)

反対側の電車に乗ってしまった。

今日はもう無理だと思った。これは甘えだ。 たいしてつらくないのに、頑張ってないのに、私よりも頑張ってる人はたくさんいることも分かってるのに、こんなことしてる間にもしなきゃいけないことも山ほどあるのに逃げ出してしまった。

これも甘えだとは分かっているけど、苦しかったけど誰にもなにも言えなかった。誰に言えばいいのか分からなかった。助けてほしかったけど、助けてなんて言えなくて、助けてもらう方法も分からなかった。いや、誰も助けてくれないことにも気づいていた。

多分私はいつも通り起きていつも通り支度をしていつも通りの電車に乗っていつも通りの人々に会ってヘラヘラしていれば今日も1日何も無かったねとヘラヘラフラフラ帰ったと思う。いつも通りが嫌だったわけじゃない。私だって分からないけど、分からないけどもう無理かもと思った。iPhoneに繋いだイヤホンから流れる『頑張れ』と応援する歌に少し涙が出そうになった。

漠然としたゆるい苦しみを抱えながら今日も生きている。

近況

一昨日あたりから知らない人の文章を読み漁っている。 はてなブログで読んでいたり、あとはnoteのアプリから読んでいたりもする。

綺麗な文章を書く人が好きだしこんな文章書けるようになりたいなと思う。私は書きたいことがあると基本的に頭の中が大渋滞を起こして勝手にUターンされて結局空っぽになることばかりだ。結果として短い直感的なポエムになる。本当は私だってポエムじゃないブログが書きたいと思ってはいる。

人と接しているとどうしても何か喋らなくちゃいけない気がする。しかも当たり障りのない多少愉快な話を。面白いことを言葉にするのは難しい。それが話すことであっても書くことであっても。かれこれ5年(乃至はそれ以上)そんなことを考えている。そう思われるように自分から仕向けておいてなんだが、「あなたって悩みがなさそうだよね」褒めているのか貶しているのか含みを持った言葉を明日もかけられるだろう。

私は2日に1回ぐらいは朝シャワーを浴びる。お風呂に入ることが嫌いだ。ただ、人として最低限のマナーとして入らなくてはならないからギリギリ朝に入ることが多い。あと、寝る前となると髪を乾かすのも億劫だと感じる。

我が家の人間はトイレットペーパーがなくなっても補充しないタイプの人間ばかりだ。1度何故なくなっても補充しないのか何人かに聞いたことがある。その時分かったことはどうやら自覚がないということだ。普通の家がどうするのか知らないが、我が家の人間はシャンプーやボディーソープがなくなってくるとポンプ式のポンプの部分を開けて直接出そうとする。私にはそのまま同じものを詰め変えれば良いだけなのにわざわざ最後まで使い切ろうという発想が理解できなくてやめてくれと頼んだが誰もやめる様子はない。

今朝もそうだった。少し寝坊しながらもシャワーを浴びていた。タチが悪いのは無くなったのかまだあるのか使うまでわからない事だ(段々減ってきていることを分かっていながら期待している私も多少なり悪いかもしれない)。多分我が家においてもう何年もボディーソープの詰め替えをやったことが無い人間がいると思う。今朝私がやったのでその記録はまた延びていくのだろう。我ながら器の小さい女だなと思う。

確かに私はストレスを感じても悩みはないかもしれない。大体のことを30分もしないうちに忘れる。これをこのブログで書いたかもしれないし書いてないかもしれないけどそれも忘れている。

日記を書きたいと思う。実りのない毎日なので3日で飽きるだろうと思う。日記を書くために机に向かうことができない。だから勉強も出来ないのだ。

寝よう。

前略、病床より

新宿の明るさが好きだ。 それは活気とかではなく、街灯として。

きっと私が東京郊外でしか暮らしたことがない田舎者だからだろう。

歌舞伎町の女王が言うようにJR新宿駅の東口を出ると、やっぱりそこは私にとってどこか幻想的で、汚くて下品で、でも、救われる。

最寄り駅から自宅に帰る道の街灯は自転車のライトが壊れたまま修理に出さない馬鹿な娘が事故を起こさない程度の寂しい灯で、風邪っぴきの馬鹿な娘が寝る部屋には付けっぱなしのスマホ以外の灯はない。

歌舞伎町の一つも欠けていない電気が好きだ。 パチンコ屋のライトが欠けることは許されないし、薬局だって電気屋だってみんな欠けてなんかいない。いつだって何かが足りていない私は何かが欠けているものへ親近感を感じるし、でも少し嫌悪感も感じる。

観光客が写真を撮る気持ちを私は理解できるし、さすがに初めて来たわけでもなく写真を撮ることはしないが、見惚れてしまうのもよく分かる。一方で私は花火は特段好きというわけではないのだが、それは一瞬のできごとすぎて見惚れる暇もないからかもしれない。(あの雑踏に果敢に挑む目的として花火が不十分と思う気持ちもあるが)

イルミネーションも確かに素敵だと思うが、東口を出た配色だってガチャガチャの目立つために作られた下品と言われるような灯の方が私に向いているようだ。

相変わらず下品な女のまま成長できずにいる。 下品でバカなのに風邪をひくなんて阿呆らしいと自分でも思う。バカはバカらしく風邪をひかないでほしいものだ。

何かが終わることが分かっているから、思い出を美化したまま終わらないでほしいから、行き詰まることがある。これは私のエゴとしか言いようが無いのだけれど、私以外の誰にも迷惑はかけてないから許してほしい。

始まったものには終わりは付き物でどんな形でも終わりは終わりで私がどう逃げてもそれは私の中で未完成なまま終わりを迎えなくちゃいけない。

私は過程を愛する。結果などいらないのだ。 結果も愛せる大人に私はなれるだろうか。